タイトルの本を読まれた方は多いだろう。
柔道の歴史から、師範の教えをわかりやすくまとめている本である。
大先輩の村田先生に対して大変僭越であるが。
最近柔道がマスコミで騒がれているので、再読してみた。
なかに、「精力最善活用の思想」なる章がある。
村田先生のまとめによると
(1)道場においてどれほど技術の練習をしても、胆力や勇気その他、そういう練習に伴って自然に養われる何らかのほかは、望みえられるものではない。尊皇の精神とか信義とか羞恥というようなことは、別に教えられなければ、技術の練習のみでは不可能である。
(2)昔から文武は相俟って全きものとされてきたにも拘らず、柔術や体術では武という方面のみから説いていて、文の方は別のものと見做されていた。
(3)明治15年、柔道という名称の下で世に発表したときから、文武を兼ねた人間の大道として説いている。柔道を学ぶものが文武何れかの一方に重きを置くなり、または限るなりして研究し、練習することは人々の自由勝手であるが、一般の人は武のみに偏しない、同時に文にも偏しない両方面に同時に関心を有する人であってほしい。
(4)柔道という広いまた深い原理によって、武士道のみならず、すべての人間に共通の道を説こうとしている。
「文武兼備の人たれ。その方法論を私の創始した柔道で説くから」と主張する師範のメッセージが伝わってくる。
「嘉納治五郎師範に学ぶ」 村田直樹著 日本武道館 より
と本書でまとめられている。
師範が柔道を通じてどういう人間形成をしたかったのかというのはわかった。
ところで、師範の直接の弟子たちは、師範の思うような人間に成長したのだろうか。
歴代の十段は、おそらく師範に認められ、文武兼備の人間であったのだろう。
師範没後、その教えは受け継がれ、現在に至っているのだろうか。
自分も柔道を長年やっているが、到底そのような人間になったとは言いがたく、恥ずかしい限りである。
これからも柔道修行を続けるつもりでいるが、いったい誰に教えを請えば、師範の求める人間になれるのであろうか。